皆さま、こんばんは。
居酒ジャーナルのお時間です。
筆者は今、大阪在住ですが、20代前半のころ、仕事の関係で大阪から東京に引っ越し、しばらく東京に住んでいました。そのとき、立ち食いうどんなど濃い味に驚きました。
わざわざ薄味の「関西の店」を探し、食べていたのを思い出しますね。
なぜ関西は薄味で、関東の方は味が濃いのでしょう。
あまり深く考えたことはなかったのですが、気になってちょっと調べてみました。
不思議なことがわかりましたよ。
関西は薄味なのに関東の味付けが濃いのはなぜ?
大阪は薄味のうどん
関東は徳川幕府が開かれるまでは、農村地帯が多く、下級武士も含めてほとんどの人が肉体労働に従事していたようです。
今でもそうでしょうけど、肉体労働をすると、たくさんの汗をかき、体力を消耗しますね。
そこで、塩分やミネラルを補給するため、濃い味付けが広まったとも言われています。
一方の関西は、京都を有する大都会でした。豊臣秀吉の天下でしたから。
貴族など上流階級の人々は肉体労働をしません。そのため薄味の上品な料理文化が広まったと言われていますね。
今でも京料理は上品ですから。
まあ、立ち食いうどんやそばの色を見れば一目瞭然。なんとも濃い色をしてますからね。
もう少し補足しておきましょう。
関東の濃い味は、徳川家康の町づくりに関係があるのです。
食文化史研究家によれば、関東の味が濃い理由は、今から400年ほど前の徳川家康の江戸の町づくりと関係がある、ということです。
江戸時代以前の日本の中心は京都や大阪など関西だったわけですが、京都は、素材そのものの旨味を楽しむのが基本の「薄味文化」が発達していました。
徳川家康は江戸の町づくりのため濃い味にして労働者を働かせた
最初は豊臣秀吉の思惑が働き、徳川家康に三河の国に代わり関東一円の領地を与えたのです。その頃の江戸は「未開発の湿地帯」で江戸城もボロボロだったようですから。
まあ、これは家康に新しく国づくりをさせることで、家康の威力をそぐ、という狙いがありました。
家康は命令に従い、江戸の町づくりを始めました。このとき、たくさんの労働者が全国から集まってきました。そこで重要だったのが労働者を能率よく働かせるための食事。
当時の主食は玄米ですが、おいしく食べさせるために必要だったのが、おかずですね。
夏場でも労働者の体力を保つためには塩分不足を解消するなど、塩分補給と労働力のアップのため、濃い味のおかずが必要だったわけです。
そうなんですよ。
関西の料理人も、「大阪の町中の食堂はわざと味を濃くしているところが多い。そのほうが肉体労働者にはおいしく感じる」と言っています。
実際、筆者も近所の大型大衆食堂で、「味が濃いなあ。でも、おいしい!」と思ったことがありますね。
こうして味の濃いおかずのおかげで高い労働力を維持し、おかげで人口6万人だった江戸の町はどんどん大きくなっていったのです。
関西の薄味に対し関東の濃い味が定着!
濃い味に慣れてしまうと、それが普通ですからなかなか元に戻れません。こうして代々受け継がれて今でも関東は濃い味が残っているということ。
関西は薄味に慣れ、それがまたおいしく思うということでしょう。
おしょうゆにしても、「濃い口しょうゆ」「薄口しょうゆ」が市販されていますけど、筆者の実家ではずっと薄口しょうゆでしたね。
一説には、関西はケチの文化もあって、味を濃くすると、ご飯を食べすぎるから、わざと薄くしてケチった、なんて説もありますが……。
まとめ
関西の薄味と関東の濃い味を調べてみました。これはさすがに好みですし、各家庭の味もかかわっているでしょうけどね。筆者は薄味が好きですが、皆さんはどうでしょうか。
最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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